大橋院長の為になるブログ

2019.07.13更新

oohasi「文科系か理科系か」  
       大橋医院    大橋信昭

 よく医師同業者から、「君は文科系か?理科系ではないね。」とよく言われる。
殆どの医師仲間は、「私は、理科系だから随筆など書けるはずがない」とつっぱり帰される。
 正直いって、そんなに人間を理科系か文科系かに分けねばいけないのなら、私は文科系である。
 小学校の頃から図書館通い、親と町のショッピング街に出かける時は、最後には、必ず本屋に立ち寄り、文芸書をねだったものである。
私の読書熱は加速化し、小学校高学年になると、親に内緒で貸本屋に立ち寄り、週に何冊かランドセルの中に隠して読み漁っていたのである。当然、学校の勉強時間は縮小化し、通知表にも下降した成績表として反映したのである。
激怒した母親は、私の隠している本をわしづかみにし、私を貸本屋へ強制連行し、経営者の仲良くなったおばさんに、「この子に、本は今後、貸さないでください!」と本を投げ返し、読書禁止令が出たのである。
 私は、読書をやめるふりを数か月はした。ようは勉強もしっかりして、成績が上位にあれば、母親も安心なのである。
 中学になると、読書熱は冷めずに、夏目漱石の「坊ちゃん」「吾輩は猫である」「草枕」(この“草枕”は、最初の3ページが難解で、夏目漱石が30歳にして世間の矛盾を書いたものであるが、未だに愛読しており、65歳にしても意味が分からず診察室においてある。一生この3ページは私には解らないであろう。)
芥川龍之介は全作品を読破し、彼が新原龍之介で養子として芥川家にもらわれたこと、母親が幼少時、発狂し座敷格子の中で閉じ込められ、早くなくなり、その病体が彼の頭に焼き付き、いつか芥川は、母親の様に発狂するかもしれないと、心の奥にいつも渦巻いていた。古典を現代風にアレンジした「蜘蛛の糸」は、大ヒットし、夏目の門下生になっていたが、彼から大変褒められたらしい。その後も「鼻」「杜子春」、「羅生門」、などを書いていたが、徐々に精神状態が悪化し、「歯車」「ある阿呆の一生」などは完全に、精神病におびえた毎日が続き、また作品が猛烈に多く書きすぎ体を消耗した。周囲から少し休養を進められたが、ある当時の文芸評論家により“机上の文学”に過ぎぬと批判され、ある日、睡眠薬で自殺した。志賀直哉の「暗夜行路」には私はすっかり主人公と気持ちが一緒になりうつ病となった。ラスコリーニコフが金貸しやの老婆を斧で殴り殺すシーンから始まるドストエフスキーの「罪と罰」は、私の精神状態を痛めつけた。「カラマゾフノ兄弟」はやたらと長く、ギリシャ正教が理解していないと分からない本だが目を通した。ドストエフスキーもてんかん基質で、一時政治問題で死刑を宣告され、それが革命により恩赦された。几帳面すぎて、書斎の家具から本、ペンの位置の変化にも敏感であり、しかし、博打で多大な借金を背負い国外に逃げていた時もあった。ふつうの人ではない。
成績だけは中学に入っても上位5番以内に常にいて、記憶力が一番良かったのか先生の話は全て頭に入り、適当に参考書を読み、全国の有名進学校の入試問題を、解いていれば成績は下がらなかった。読書量は加速的に増大した。
 岐阜高校に進学し、医学部に入りたいと言ったら、担任の先生から君の成績では無理だと3年間言われていたが、不思議に昭和48年医学部に合格した。
 読書は加速した。松本清張の虜になりよく徹夜して読んだ。これは医師に成って、妻のお産が近くになり、つわりで苦しんでいるときも、松本清張を読んでいた。私が医師に成り父は心筋梗塞になった。偶然、父の傍に居たので、救急搬送で、大垣市民病院に助けて頂いたが、父の介護と松本清張の本の乱読とは並行した。「お前は何をしに俺の傍に居るのだ!」心筋梗塞が落ち着かない、怒らしてはいけない父の血圧を上げてしまった。
 医師に成り、研修を終え、論文も教授の満足量を満たしたとき、国立浜松病院へ島流しとなった。私はこの時、「項羽と劉邦」という司馬遼太郎の本に無中となった。これから歴史小説が好きになり、司馬遼太郎の本は「三国志」「竜馬が行く」「跳ぶがごとく」「歳月」「坂の上の雲」など、全作品を読み、彼が死んでからも、講演集の原稿も探して歩いた。それから藤沢周平、吉川英治、山岡荘八、、、、、今も乱読は続いている。
 私は理科系か文科系か、私の学位論文がインピーダンスに関するものだったので、その時は工学部の教授とよくお話しを聞きに行った。彼らは、数式を黒板に書いて、物理の議論をするのに驚いてしまった。「医学博士」という名前が欲しくて、インピーダンスを無理やり研究したが、苦痛以外何物でもなかった。しかし、医学博士は頂いた。そのお礼奉公が国立浜松病院への赴任であった。
おかげで、歴史小説はしっかり乱読できた。
 いまだに、医師仲間は、「私は理科系で、」といわれるが、医学ほど理科系科目の中でも、文科系に近いものはないと思う。私は文科系の医師でよいから、患者さんお話を良く聞き、その人の生活、人生、家族関係を良く聞き、丁寧に診察を続けていきたい。
 私は文科系の医師である。(完)

 

投稿者: 大橋医院

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