大橋院長の為になるブログ

2019.03.25更新

野口英世
     大橋医院      大橋信昭
彼は貧農の家に生まれ、幼少期に、囲炉裏で左腕を火傷し、
片腕で不自由であった。母:シカの愛情や周りの彼の才能を認めた富豪の後押しを受け、根性で医師に成り、渡米し、蛇毒の血清を作り、進行梅毒を発見した。彼は黄熱病の発見として誤解されているが、黄熱病は、ウィルスであり、彼の光学顕微鏡では発見不可能であった。彼は、この間違いを屈辱に思い、ガーナへ渡り、自ら黄熱病に罹患し、昇天した。これを“野口の腹切り”という。しかし、明治という時期は、野口の才能を育てる人が徹底的に応援し、医者にさせ、USAへ渡っても、不眠不休の研究生活で、#人減機関車#とあだ名がついた。私は、この野口英世を子どもの頃から尊敬し、医学の道へ進むものとして憧れであった。極貧の家に生まれ、いくつもの逆境を克服し、蛇毒の血清と進行梅毒で多くの人を救った。黄熱病があまりにも野口英世を有名にしているが、電子顕微鏡がなくては発見は無理であった。黄熱病の野口英世の名がせかいじゅうに有名になり、日本のお侍の様にガーナへ切腹に行ったのである。
私は、高校時代、野口英世の生家に訪れており、床の間の柱に「志を遂げなければ二度とこの地を踏まず」と書いてあった。私のあこがれの医師であり、目標である。おおはし

投稿者: 大橋医院

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