2017.02.14更新

「弟の嫁になる」
                 大橋信昭
「先生、どうも歯磨き後、歯肉から出血しましてね!」これがこの患者さんの主訴であった。大工さんであった。医師になり、5年も経たない日のことであった。視診してみると、皮膚にも紫斑が目立つ。採決をし、極端に減少した血小板に驚き、血液内科の専門医に相談した。まずは、骨髄穿刺をして、骨髄液を病理の専門医に診てもらった。血液と病理の専門医は、顔色を変えて「君は、大変な患者さんの主治医になったものだ。」骨髄液は、転移性癌細胞であった。
 どこかに原発の癌があり、それが全身転移したとしか考えられなかった。癌としてはもう遠隔転移をしているし、救命できないが、医師として原発巣を見つける義務があった。
 しかし、悲しいことに、お嫁さんが付き添っており、もう身重で、出産まじかであった。私が、原発巣を見つけるために、消化器系、呼吸器系、脳神経系、整形外科医などに、癌腫がないか奔走していた。疲労を隠せないとき、大工の患者さんは、私の白衣を鷲掴みにした。顔は、怒りを抑えており、「先生、もうすぐ赤ん坊が生まれてくるのだ。助けてくれ!あんたでも分かるであろう!」もう先生とも言わなくなった。
 もう一つ、問題があった。奥さんである。どこかに癌があり、全身転移しており、ご主人のこの先の、残酷な運命をいつか言わなければならなかった。
 遂に、原発巣が胃にあることが分かった。消化器部長のおかげである。しかし、いよいよ、お嫁さんに、胃癌があり、全身転移して、骨髄に転移して、出血傾向もおきていると説明しなければいけない。そんな残酷なこといつ言うんだ!
 運命というべきか、神様の優しさか、ある夜、突然、脳出血をした。最早、意識はない。今しかない。奥さんに、本当のことを言うと、奥さんは失神した。
 ご主人が昇天するのに時間はかからなかった。残酷にも病理解剖をさせてもらった。死亡診断書を、奥さん、親戚の涙の嵐の中、書き、霊柩車は非常にも病院を去った。

暫く、日にちが立った。私は、病院の廊下を歩いていると、赤ん坊を抱えている奥さんにあった。言葉は少なかったが、弟さんのところへ嫁いで、やっと、幸せが見えてきたそうである。若かった私は、何もしゃべれずに、頭を下げ、逃げるように、彼女と別れた。
 悪魔は残酷な物語を、書くものである。廊下から当直室へ行くまでに、私は、何回も倒れそうになった。(完)

投稿者: 大橋医院