2016.11.20更新

くら2

<蔵のある家>
大橋医院 院長 大橋信昭

 その年は例年になく、雪が降りよく積もった。私が頼まれた仕事は寝たきりの母が息も絶え絶えであるから、家で往生させてくれという話である。介護保険制度も始まっていない少し昔の話になる。その家は旧家なのか、小高い丘の上にあり、雪を踏みつけながら往診依頼した息子さんの標札にたどり着くと、木戸がみえ、それを右から左へ、ギシギシ音を立てながら、開くとやっと庭が見られるのである。その家の奥に白壁で覆われた大きな蔵が私を圧迫した。
 蔵を見上げながら、やっと上り口に、60歳代にしては老け込んだ老夫婦が私を迎えた。彼らの母を診察して欲しいということである。中は以外に奥に広く、廊下、仏間、居間の向こうに暗い日の当たらぬ部屋があり、不自然にも幾重にも重なった布団があり、90歳は越した老婆がうごめいていた。息子さんが主に介護しているらしく、その妻はその老婆を見向きもしなかった。
 診察したところ、大腿部頚部骨折、褥瘡、寝たきり、廃用症候群で、認知症があり、会話は不可能でうなっているばかりであった。この年老いた息子さんが介護しているのか、おむつ交換も不十分で糞臭が立ち込めていた。私が聴診器を当てようとすると、両手が仏様を拝む姿勢で硬直しており、心音を聴取することさえ困難であった。
 「息子さん、私はあなたのお母さんに何をしてあげたら良いですか?」すると息子さんは悲しそうに、「こんな構えは立派な家だが、貧乏神が住み着いており、母には十分な医療を受けさせてあげることができなかったよ。数年前から床に着いたが、転んだり、発熱したり、苦しいと喚いたり、食事もほとんど取れないが見て見ぬふりをしていたよ。おむつを買ってきて下の世話は何とかしているが、風呂ももう何ヶ月も入らせていない。タオルで出来る範囲を拭いてやるのだ。」すると、横にいた彼の妻が怒ったように「医者なんかなぜ呼ぶのだよ!このまま見ていればいいじゃないか!私たちは、このばあさんにどんな目にあってきたと想っているのだよ。私は忘れないよ。」
 どう考えても、この老婆とこのご夫妻に不幸なことがあり、老婆の衰弱に関して二人の意見は全く違うらしい。息子さんは私による在宅尊厳死、お嫁さんは過去の憎しみから、おばあさんから背を向けているようである。何があったか知らないが、ともかく私はこう言った。「しばらく往診させてもらいます。医師としてやることはやります。お家での治療に限定して、最後まで診させてもらいます。」私が、なかなか閉まらぬ木戸に苦戦していると、息子さん夫婦の大声での罵り合いが聞こえた。あの立派な白い蔵は不自然だ。雪も激しくなりその日は帰宅した。
  私はそれからも往診を続行した。介護保険制度がなかった時代だから、もう老人の息子さんがオムツ交換までやっている可哀そうな姿を見ると、お手伝いせざるをえなかった。ともかく糞臭との戦いである。汗だくで介護のつらさを息子さんと味わった。老婆は泣いて、詫びるだけである。それにしても、何があったのか、彼の妻は姿を現さない。
 少しずつ、老婆の体は衰弱し、点滴も拒否されているから、心肺停止を聞いたのは往診を始めて、1月間も経っていなかった。死体という物質化した老婆はあらゆる苦痛から解放され、仏様のように幸せな顔であった。葬儀は自宅で済ませるという息子さんの話であった。
 私は納得がいかなかった。なぜあのご夫婦は老婆と何があったのか。お嫁さんの冷たさは?お通夜の日も雪は降り続けたが、私は白壁に囲まれた蔵のある家まで走り、木戸をあけて、「お参りさせてください!」とご遺体に焼香した。
お嫁さんはやっと重い口を開いた。「先生、どうして私がおばあさんを無視していたのか不思議に感じていたでしょう?それはね、私たちの大切な息子が幼児の時に、事故死したのよ。それは私たちのせいだけど、私たちが一番悲しいのに、すべて私のせいにして、決して許してくれなかったの!それから、ことごとく喧嘩が我が家に耐えなくて、どうしても私の義母とはうまくいかなかったのよ。」

 私は夜道を当院へ急いでいた。雪は容赦なく、私の方をたたいた。むなしさだけが私の心の穴を吹き抜けていた。立派な蔵なんて何になるのだ!人間の幸せって、仏になるしかないのか!

投稿者: 大橋医院