2015.06.21更新

<同級生>

大橋信昭

 土方君とは帰り道がいつも一緒で、同じ中学3年生のクラスメートであった。実は、僕は中学2年までは、いつも、学校のテスト成績はクラス一番であった。
記憶は小学校4年ぐらいまで遡るが、クラスで勉強は一番、クラス委員は僕が当然やるということは当然の事であった。ところが、肝心の中学3年生になって、どうしても成績がかなわない男が今、一緒に歩いている土方君であった。
クラスで2番、これに僕の母は激怒した。「どうして一番じゃないの!何よ、2番て?」しかし、いくら母が怒っても、彼にはかなわないのだ。帰宅道中、彼は指導教官みたいに僕を刺激した。「何だって!君は朝日新聞の天声人語は読まないのか?」「僕の所に朝日新聞は無いんじゃないかな?」土方君は「これは日本の常識で、朝起きたら、まずは天声人語だよ!」困ってしっまた。あのいつ怒り出すかもしれない父に朝日新聞を勉強のためにとってくれと、お願いするのにかなり勇気が必要であった。朝日新聞は毎日、届くようになったが、天声人語は苦手であった。土方君はこうも言った。「夏目漱石の3部、坊ちゃん、吾輩は猫である、草枕は常識として読んでいるのかい」、僕は真っ青になり、本屋に急いだ。母親に「この3冊を読むことは受験勉強にとても大切なんだ。」、買ってもらったが、"坊ちゃん"だけは分かりやすく、"吾輩は猫である"は途中から漢文、物理学が常識として使われており、主人公の猫が絶命するまでに、僕の頭は、破裂寸前であった。"草枕"に至っては、最初から分からなかった。
「智に働けば角が立つ、情に棹せば流される、とかくこの世は住みにくい、、、、」
最初の2-3ページはあまりにも哲学的で、還暦過ぎても分からない。これを夏目漱石は30歳を過ぎた時に人生を振り返って書いたのである。土方君はまた僕を刺激した。「君、芥川龍之介の歯車は読んだだろう。もちろん全作品は目を通すべきだ!」僕はめまいがした。教科書で「蜘蛛の糸」は仕方がなく読んだが、他の作品は知らない。父は怖いから母を本屋に連れて行き、「どうしても、クラスで一番になるには、あの土方君を追い越さなくちゃいけないんだ。どうしてもこの芥川全集を読む必要がある。」すると母は、「最近、信昭は勉強をほとんどせずに、本ばかり読んでいるけど、そんなことでクラス一番になれる?」、
仕方がないと買ってくれた。必死に読みふけっていると、土方君が僕の書斎に遊びに来た。「しかし、君は、ドストエフスキーは一冊もないね。僕はね、"罪と罰"を読み終わり今、"カラマゾフの兄弟"を読んでいるのだ。」と不敵な笑いを残し帰って行った。僕は息切れをして過換気になったと思う。貯金してあるへそくりから、こっそり、旺文社の世界文学大全集からこのどこの国の人か分からないのに本を読もうとしていた。夏休みになって、自由研究の宿題が出た。僕は別の少し成績悪い友達と適当に科学に関する研究で済ませた。いい加減に勉強もしないと来年は受験なのだ。夏休みが終わり、自由研究が発表されると、驚いたことにあの土方君の研究が学年で最優秀賞になっていた。「浮力に関する研究」としか理解できなかった。土方君は僕の自由研究を軽蔑するように観て、「君、何故、あの重い飛行機が空を飛ぶことを考えたことは無いのかい?」と言った。僕は理科の授業は土方君がいてもいつも百点に近く、先生の話は全て聞いていたが、"浮力"は、初耳であった。このまま、卒業まで馬鹿にされ続けられるのかと、初めての屈辱感を感じた。
 そんなときである。学校側が、両親が無い子、片親の子を集めて、なにか特別な授業をやるらしかった。不思議なことに、あの土方君も、集められていた。
聞くところによると、あの土方君の御両親はいなく、おじさん夫婦に育てられているらしい。それで、お金も迷惑のかけない「工業専門学校」に進学するそうだ。僕なんか両親がきちっといて、その後、岐阜高校から医学部へ進学することになるのだけど、土方君は高業専門学校を卒業し、いったん企業に就職し、お金を苦労して貯金し、京都大学の工学部から、ソニーへ入社したらしい。開発品が優秀で、世界的な賞状をもらったと聞くのは随分、後の事である。
 しかし、土方君は両親もいないのに、少しも寂しそうな顔をせずに、僕をいつも刺激し続けた。中学を卒業し、岐阜高校の数学の宿題を大垣の図書館で悪戦苦闘していたら、「随分、レベルの低いことをやっているのだね。」と相変わらず土方君は、もう大学生がやっている数学の本を開いて笑った。「君、労働についてどう思う?」と彼は聞いた。「いや、実は僕は医師になりたくて、今のところ、勉強だけでよいと、両親が言うものだから?」すると、彼は険しくなり、「君、労働を馬鹿にするものでは無い!僕は今、北海道の酪農の仕事を手伝って帰ってきたところだ!マルクス曰く!!、、、」「降参!!」仕方なかった。
 それから僕が40歳を越して、中学のクラス会をやるというものであるから、クラス幹事として、土方君の住所と連絡先、電話番号をやっと調べた。同窓会をやりたいから、ご主人と話がしたいと、やっと奥さんに連絡が取れた。しかし、彼は電話に出なかったし、その後のクラス会にも顔を出さなかった。どうして、逢ってくれないのだろう。エリート会社に就職し、社会的にも立派に成功しているのだろう?でもあきらめた。彼が姿を出さない理由が分からない。このことは初恋の失敗より辛いものであり、両親もいなく、自力で社会で成功した彼は、僕なんか甘えん坊にしか見えないのであろう。どこかで、また逢えないかな?土方君!!(完)


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投稿者: 大橋医院