2015.04.28更新

<断酒生活>
大橋信昭

 私は、断酒をして半年になる。あまり「酒は止めました。」と友人には広言を吐かないようにしている。信用してもらえないからである。「何回目の断酒か?」と言われるだけである。最近の勉強会後とか記念式典のパーティーは、「今日は車で来ました。」とか「γ―GTPが高いから、肝臓の機能を正常化したい。」と言い訳をする。最近の飲み会は、本人の飲まないという意思を尊重してくれるから、断酒をしている私にとっては、有難いことである。私が医学部を卒業して、医師になったのは昭和54年である。医師になって初めて当直を任されたとき、大学病院ではあるが、夜間、深夜の救急外来、病棟の患者の急変に関して、医師として責任重大である。出前ものを注文して、夕食を済ませようとしていたら、突然、医局長が鬼のように私の前に立っていた。「君は当直か?
日本男児であるからには夕食にビールを一本飲まずしては、日本男児とは言えない!」無理やりビール1本飲まされたのである。その後、夕方の病棟回診、点滴当番が義務としてあり、補助してくれる看護師さんが忍耐強かったのであろう。
 最初の赴任病院はある公立病院であった。院長、副院長、部長、と軍隊方式になっており、初年兵の私は「はい!」と敬礼し、上司の命令は絶対服従であった。であるから、私の先輩の部長は、大酒のみであったから、困ったことが早速起きた。私を指して部長は、「君、俺と一緒に仕事をやろうとするつもりなら、この机の前においてあるビールを一気に飲み干してくれ!」今度は、ビールが3本であった。途中意識がもうろうしながら飲み干したらしい。めまいをしながら、必死に私の寮に帰ろうと思った。さすが,まずかった。病院を出た瞬間、非常玄関の前で嘔吐した。私はそこをもとの清潔な場所に戻す余裕はなかった。早く寮の私の部屋で、横にならなければと先を急いだ。不幸なことに、私の部屋は5階であった。万難を排して5階に上り詰め、部屋へ入る鍵を探している時に、また嘔吐発作が強烈にやってきた。5階の階段から1回めがけて、私の吐物が、4階、3階、2階、1階と流れ落ちるのを確認した。後はどうにでもなれ、嘔吐して、すっきりし、部屋の寝室で寝てしまった。朝は、同僚、先輩の奥様で大騒ぎであった。私はそうっと逃げ出し外来業務をこなしていた。
 それから3年、僻地医療を学ぶということで、岐阜県、長野県のある町立病院へ1週間赴任した。農民も樵も優しかった。私の今日の勤務は、この周りの住民、あるいはもう一つ山を越えて、往診するということであった。事務員が土地勘のない部分、道案内をしてくれる頃、私は緊張していた。そこへ、院長が突然に表れたのである。院長は大酒のみである。私のために料亭予約してあるのである。私は緊急患者が現れたらどうしましょう。 ビ-ル、日本酒、焼酎、鍋物、後馳走満タンである。院長が言われるに今夜の急患はない。長年の経験だ。」しっかり飲み、食べ、動けなくなった。当直医としては不可能である
しかし、院長は酔っぱらいながら「今日の当院の急患はありません。」闇夜に大声で叫んだ。
 しかし、考えてみるに、私は飲酒により、周りの人たちにいかなる迷惑かけたか、寒気がする。私も長女の御爺さんになり、次女も社会人、自信が急上昇を始めます。今日は、パパの酒癖についての討論会です。」私の妻は少し離れて会議傍聴らしい。次女が切り込んだ。「私のパソコンを破壊したのは誰だか知つている。」女性に囲まれて、窮屈だ。そこで次女が司会になり、突然、「家族会議です。」「?」「パパがいきなり私のパソコンに3回、パンチをしたわ、パソコンは使用不能になり、書斎で一人泣いたの。それから,i-Padやスマートホンをそろえているは、いつも酩酊状態で、なにをいいたいのか分からない。」
 長女は堪忍袋が切れているらしく、「お父さんにとって最初の孫をもっとかわいがってくれないの!この前お酒を飲んで馬乗りになっていたのでしょう。」ママ代表で、長女と次女が断酒を懇願した。仏壇の前で裸踊り、これは多くの友人を無くし、家族からも嫌われては、私はとても悲しい。断酒剤:脳のグルタミンとGABAをコントローする薬一日、6錠を飲み、脳のアルコール指令を消して半年、読書も進み、体重も6kg減少し、腹囲も7cm縮小した。いつも素面、患者さんはいつでも診察できる。有難いのは家族だ。涙をためて、断酒を懇願し、私の脳からアルコールは消してくれた。戦いはこれからだ。
断酒剤は今でも、時々飲む。酒仲間は減っていった。妻が大垣の地下水を毎日、くみ上げてくれる。ビールより水はうまい。体重が5kg減少した。腹囲も減り、顔の大きさが半分になった。いつも素面から急患はいつでも、OKである。
たばこ、お酒が無くても、私を心配してくれる妻や子供や孫がいてくれる。
サー今夜も好きな読書時間だ。東野圭吾の「ゲームの名は誘拐」に夢中になる。
もう酒とは断交である。私には合わないのだ。それよりも好きな小説を読み、随筆の腕を磨こう。司馬遼太郎は講演で言った。文章に詰まった時には、現地に足を運ぶことです。その周りを体臭にしみこませると文は浮かび上がってくるそうです。今年は取材力を計画し、文章の幅を開けたい。酒など飲んでいる暇はない。取材、書こうとすることの基礎調べも必要だ。酒など飲んでいる場合ではない。ゴールデンウィークには、娘たちにデートを申込み、頭を刺激し、
どこにもないオリジナルのある随筆ができるかもしれない。断酒剤bye、、家族たちと随筆を書きたいという願望が前向きの姿勢に向かわせる。(完)



岐阜j県大垣市の大橋医院は、高血圧症、糖尿病、や動脈硬化症に全力を尽くします。i

投稿者: 大橋医院