2014.12.22更新

<麻太郎の生涯>

大橋信昭
(この随筆は架空の物語であり、実在するものではありません)

1) 丸山県中高市に、麻太郎は昭和初期に父辰二郎野次男として生まれた。家は貧乏であり、麻太郎の父は鉄製品を加工しており、朝からお日さまが沈むまで働いてばかりで、日暮れの辰二郎という名前で知られていた。
麻太郎は早くも小学校、中学校時代から手のつけられない悪童ぶりを発揮していた。いわゆるガキ大将であり、近所の不良少年を子分に従い、畑荒らし、金持ちのお坊ちゃまのカツアゲ、他校との出入り、いつもナイフをポケットに忍ばせていた。授業は聞いたことが無い。
ある日、麻太郎の兄が軍服を着て帰宅していた。当時、兵隊は少年の憧れであった。敗戦濃厚の大東亜戦争のとき、17歳の麻太郎は、父の辰二郎に軍隊志願を強く頼んだ。怒った辰二郎は、麻太郎を袋叩きにし、押し入れに閉じ込めた。これは麻太郎の感情のコントロールが制御可能になる事件であり、押し入れから脱出し、父の箪笥か印鑑を持ち出し、大日本帝国陸軍志願兵として、小牧に配属されることが決まった。これを聞いた辰二郎は麻太郎を勘当した。その後、麻太郎は実家に帰るのは20年後の事であった。
敗戦前の日本は、大不況であり、辰二郎の銀行も倒産し、それが原因か、彼は急死した。葬式にも麻太郎は帰ってこなかった。ガードルと軍服と手榴弾と鉄砲を与えられ、戦車に奇声をあげ米軍兵の惨殺を夢見ていた。(続く)


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投稿者: 大橋医院