2014.07.26更新

<水門川>
大橋医院 院長 大橋信昭

今日、大垣市の福祉会館の4階で、ある会議があった。会場に早く着いたので、窓を開けバルコニーへ出た。そこには水門川が一面に見渡せることができ、昔は桑名への重要な交通路として汎用され、今は桜の季節になると、大勢の観光客が乗る渡し船が停泊していた。私は、思わず俳句心が高揚し、二句、メモ用紙に書き込んだ。
"深緑の、水せせらぐ、水門川"
"深緑の、船は流れる、水門川"
久しぶりの俳句に私は大変機嫌がよくなった。
私は、50歳を超えるころまで、この水門川を、よく散歩したものであった。午後の診察を終え、夕食をすまし、運動靴に履き替え、スポーツシャツに着替え、私の診療所から、県道258号線にまで歩き、その後市民病院正門を素通りし、西に方向を変え、松尾芭蕉の銅像が立っている所へ、早足に到達する。この大垣市に俳句ブームを起こした松尾芭蕉に敬礼をする。その後ろには水門川が、大垣城を取り囲み、旧大垣市街を蜘蛛の巣のように流れているのである。その水は清らかで、透明でそこには藻が流れている。鯉も気持ちよさそうに泳いでいる。伊吹山の豊かな雪が地下水となり、大垣市はいたるところで湧水が出る。そして、水門川に沿って、さらに西へ歩くのである。のどが渇けば、いたる所に、湧水があり、給水には事欠かない。のどが渇くことは散歩中も私は知らないのである。やがて、西大垣駅に至り、やっと当院まで東へ散歩が続行する。春には桜が咲き乱れ、舞い、やがて悲しく散っていく。夏には木々は思いっきり背伸びをし、縄張りを争い、深緑のたくましい葉が灼熱の青空に、自己主張する。秋には、アポトーシスが始まり、あの緑の葉が黄金色に、赤や黄色に変身し、寂しそうな土にかえる。冬は木の葉を落とした大木が伊吹山からたたきつける木枯らし(大垣では伊吹おろしという)や吹雪に耐え、一年を終える。その間、水門川は、黙々と流れ続ける。時々、川底の鯉をカラスが狙う。ほとんど空振りである。
 昨日、水門川にそびえ立つ大木の根元に蝉が死にそうになっていた。天敵の餌にはかわいそうなので、葬ろうとすると、指に絡みついてきた。ここで短文を読んだ。「息絶えた,蝉を葬ろうとしたら、私の指に絡みついてきた。命のはかなさ、短さを考え、そっと土を盛り、土手を築き、天敵に襲われないように、できるだけ長生きをし、最後は、安らかにお眠りなさい。」(完)

岐阜県大垣市の大橋医院は、高血圧症、糖尿病、や動脈硬化症に全力を尽くします。

投稿者: 大橋医院