2014.02.24更新

<小生は新米小児科医である。>

大橋信昭

   小生は循環器専門医である。しかし、開業したから、胃の検査もするし、大腸の検査もするし、おばあさんのお嫁さんの悪口も聞き、循環器一筋というわけにはいかない。往診もすれば、介護施設に行き、認知集団を診断する。
 小生は還暦を過ぎて一年以上になろうとするが、これも初期の認知症なのか?58歳になってから小児科医を志したのである。非常識も限界というものである。まず書物を購入した。「開業医のための小児科学」、「小児科学薬物用法.用量」、「当直医のための小児科学」この3冊を熟読し、トムソーヤが危険な洞窟を探検するごとく、休日診療所(保健センター)に出かけたのである。
 薬量の計算、診察、診断は教科書で頭は整理されている。休日診療所へ到着したら、すぐに1歳2か月の子が発熱している。すぐに診察してほしいという命令である。帯同するに看護師に「私は、今日、小児科当直初めてです。よろしく。」看護師は顔を青ざめ「先生はいくつになられましたの?」「58歳です。」
看護師は驚き「それは無理です!」と小生を睨んだ。すぐに薬剤師に情報が飛んだ。知り合いの薬剤師が現れ、「先生は小児科が、大変に不得手であると言って見えたでしょう?」「私もそこが分かりません。小児科を勉強したくなったのです。」このような討論は時間をかけてはいけなくて、早速、1歳2か月の子の診察にかかった。まず成人用の聴診器を用意してきたことが間違いである。診察室にかわいらしい子がぐったりして入ってきた。緊張して診察を始めると、小生の聴診器から鼓膜を打ち破るような、子どもの泣き声が入ってきたのである。胸部にて心肺音、腹部音と触診、リンパ節の腫大の有無を判断し、処方に取り掛かろうとしたのである。そこで看護師の注意が入った。「先生は、咽頭喉頭部、扁桃腺など口腔内の所見をとっていない、髄膜刺激症状も取っていないし、お母さんに生活指導をしていない」これには小生は、油汗が出てきた。基本の診察行為ができていないというのである。
 薬剤師からすぐに非難が大声となって聞こえてきた。「用量がまるっきり違う!計算しなおしてください!」どう計算しなおしても間違いだらけである。
 薬剤師、看護師の御助けの元、一人一人、乳幼児を診察していった。小児科専門医と比べれば、莫大に時間がかかるし、薬剤師、看護師の疲労も大変である。食事の時間は、隅のほうで、顔を下向いて、静かにお寿司を食べた。暗い重い食事である。胃の中に確かに食事が入ったか分からないのである。
 午後の診察が始まった。小生は疲労困憊し、体重あたりの薬用量はますます、ミスが増えた。ついに薬剤師が切れた。小生のところへ来て、かなり悪態をついた。診察は診察で、看護師に指導権は取られ、小生は木偶の坊のごとく立っているだけになった。乳幼児の病気を治してもらいたいと、訪れた母親、父親の目も冷たい。あー私も腹痛が始まった。頭は大混乱、泣きそうになった。何故、小児科を58歳で始めるのか小生は気が狂ったのか?帰りたくなった。
 天の助けのように、帰宅時間が来て、書斎で考えこんでしまった。それからである。小生は小児科医に120%の努力で勉強した。小児科のあらゆる本を読み漁り、同級生の小児科医を見つけると、相手が嫌になるくらい分からないことを聞いた。それから3年、小生は61歳になるが、また2週間後に当直がやってくる。楽しみである。もう、薬剤師や看護師にも叱られることはなくなった。相変わらず、当院の診察室で医療を行っているよりは緊張する。小児科医として3年間、急成長である。
 私は、小児科医に挑戦して、医師として30年以上のキャリアがあるにもかかわらず、「診察する」「患者さんの痛みを分かってあげる」「命がけで所見は見逃さない」「肉体も心も最大限にできることはやる」ということを学んだ。これからも小児科医に挑戦、成長していくつもりである。


岐阜県大垣市の大橋医院は、高血圧症、糖尿病、や動脈硬化症に全力を尽くします。

投稿者: 大橋医院